花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
2001年卒業(高53)

若林 玲南

Wakabayashi Reina
医師
【略歴】
2001年 捜真女学校卒業
2002年~2008年 鳥取大学医学部医学科
2008年~2010年 京都府立医科大学附属病院・公立南丹病院 初期研修医
2010年~ 横浜市立大学産婦人科入局 以降関連病院で勤務
2020年~ 神奈川県立がんセンター婦人科で勤務
 
《捜真の思い出と今》

6歳の私は物心付いたときには黒いランドセルを背負ってバス・電車・バスと乗り継いで捜真小学校に通っていました。私も近所の子達みたいなピンクや赤のランドセルが良かったなぁと思いながらも、毎日元気に登校していたのを覚えています。

中学に入り、いつも前を通っていたきれいなピンクの校舎に入れるにようになって、なんだかお姉さん気分、授業は自分の脳の構造上の問題か、数学・理科以外は全く耳に入らず、旧約聖書を枕にして気持ちよく夢の世界へ行っていた時間も長かった気がします。小1の時から毎日礼拝に参加していたにも関わらず、見えない神様やイエス・キリストという人をどうして先生達は信じているんだろうと毎日不思議に思っていましたが、チャペルに響くパイプオルガンの音や、讃美歌はどれも大好きでした。クラス礼拝では、またこれか~!とか言いながら皆で楽しく歌っていた日々はのどかな毎日だったなあと感じます。

高校生のときに親友の闘病を機に、医者になろうと決意し、数学の時間も苦手な国語と社会のテキストを持ちこんで眺めていました。卒業後は駿台予備校で1年間お世話になり、鳥取大学医学部に入学しました。その後も遊びに勉強に暇のない毎日でしたが、現在4歳、8歳の子育てをしながら(といっても一日の半分は保育士さん・学校の先生達にお世話になっていますが)、産婦人科医として働いています。元気な赤ちゃん・そうではない赤ちゃんの誕生・・、経腟分娩・帝王切開、どんな出産でも患者さんと私達はいつも本気で立ち向かっています。現在は神奈川県立がんセンターで子宮癌、卵巣癌などの婦人科癌の患者さんの治療をしています。治療といっても治せる病気もあれば治せない病気もありますが、手術・抗がん剤・放射線、緩和ケア、あらゆる手段を使って患者さん一人一人に最善の治療を提供できるように。ゴールが治癒であっても、たとえ人生の最期であっても・・。目の前の患者さんとご家族がこれで良かったと思える人生になるように、私達に何ができるか、それだけを考えて日々働いています。

職場ではそんな立場ですが、時々捜真時代の友達に会うと、高校生のときと全く変わっていない自分達、毎回中高時代の思い出を思い出しながら爆笑しています。皆それぞれいろんな生活・職業、でもどこかベースに捜真で培ったほんわかHeartを持っている、捜真時代の友達は一生の宝物です。

2023.1.5 公開

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