花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
1974年卒業(高26)

倉科 敬子

Kurashina Keiko
ギャラリスト
【略歴】

1978年 上智大学 文学部社会学科社会学専攻卒業
1978年 東亜国内航空(現日本航空)入社—1981年退社
1981年 ロンドン在住
1983年 アラブ首長国連邦アブダビ市在住
1985年 アブダビ在ダフィール旅行代理店勤務 1987年 アブダビ在(アブダビ国立銀行) 入社—1995年退社
1995年 日本に帰国
1998年 再びアラブ首長国連邦アブダビ市在住
    国営女子小学校にて非常勤特別指導員、日本語指導等
2007 年 日本に帰国
2014年 1010Artire テンテン アーティア株式会社設立
同年 11月~ 企画画廊としての1010美術を開廊し、現在年間約10回以上展覧会を企画開催

 

《捜真の思い出》

毎日の通学は20分かけての徒歩でした。あの頃かっこよく目立っていた超近代的な室内プール付き体育館の横を、私の学校これがあるのよ、と誇りを持って毎日通りました。水が苦手で中学入学時全く泳げなかった私は、高三の時、個人メドレー100メートルをなんとか完泳した時は、10代で得たじわじわっとした格別な達成感でした。
好きだった教科の美術。抽象画の実技授業の時、自由気ままに描いた絵を森田佑子先生がとても褒めてくださり、あの時は嬉しくて、ひょっとして自分は才能あるのではと思った、謙虚でなかった10代。
高学年になってから、生徒が順番に礼拝をクラスごとにおこなっていたクラス礼拝。教壇の横に立ち、聖書の言葉を選び、それに沿った講話をクラス全員の前でお話しました。今にして思えば堂々と皆、凄い事やっていました。
英語の森川幸先生が、「あなた方自身や伴侶の方が将来外国に行く事は普通のことになるのですから英語はしっかり勉強なさいね」と言われて、本当にそうなるかなぁと、ぼんやり聞いていた10代。
たかが半世紀前のことでも!?捜真の思い出は、温泉のように湧いてきます。
人生を推理サスペンス小説に例えるとすると、捜真時代はほんとうにキラ星のごとく伏線が散りばめられ、思えばこれまでに、多くの伏線回収を知らぬ間に行っています。

2023年8月30日

2023.9.1公開

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