花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
1969年(高21)

立川 眞理子

Tachikawa Mariko
博士(薬学) 元日本大学薬学部教授 水環境関連問題(主として水の消毒)コンサルタント

【略歴】

1969 年 捜真女学校高等部卒業
1971 年 日本大学理工学部薬学科入学
1975 年

同校卒業。薬学科衛生化学研究室研究生となる。

その後助手、講師、 准教授を歴任

1995-1996年 アメリカ合衆国 オハイオ州立大学薬学部研究員
2011年 日本大学薬学部環境衛生学研究室教授
2016 年 日本大学薬学部を定年退職

 

【専門】

専門:衛生化学、水環境汚染、水の消毒殺菌

資格:薬剤師

 

【私の仕事】

大学の教員として 40 年余り教育と研究を行ってきました。私の専門は薬学の中でも衛生化学という分野で、集団の健康を向上させることを目標にしています。今日のヒトの平均寿命(余命)の延伸には医療の発展だけでなく、環境衛生の改善による乳幼児死亡率や伝染病発生率の減少などがより大きく関与しています。この分野は生物学・化学・環境工学などから成る学際的な研究分野です。薬学の学生にとっては人の健康に影響を及ぼす様々な環境要因を学ぶ主要な教科の一つです。この教育とともに私が長く携わってきた研究が水の衛生です。水環境における塩素系農薬の魚類に対する蓄積と排泄、水の消毒剤として使用されている塩素による消毒殺菌の実際およびその塩素の反応性、環境中の微生物の生活形態であるバイオフィルム形成に対する塩素やオゾンの殺菌除去効果などについて研究を行ってきました。大学を定年退職した現在は塩素消毒やプールの衛生管理などのコンサルタントです。

 

【水と塩素】

大量の水を一度に消毒することは難しいことです。塩素は廉価で比較的簡便に大量の水を消毒することができます。また残留性があり、配水中の事故等による細菌汚染を防ぎます。ですから日本の法律では水道給水栓口の水には僅かな塩素(遊離塩素として 0.1~0.2 mg/L)が残っていることが定められています。水道の普及に伴ってコレラやポリオなどの水系伝染病が著しく減少しました。水道水の嫌な点として塩素を挙げる方もおられますが、この残留塩素はむしろ安全の証なのです。しかしながら、浄水処理では塩素の強力な酸化力は殺菌だけでなく、原水中の藻類や溶存する有機物や鉄、マンガンなどの酸化除去にも使われます。原水が汚れていればいるほど使用量は増し、これが不味や臭いの原因となり、種々の塩素消毒副生成物が問題となります。環境を汚さないことが水の衛生にとって重要なことは言うまでもありません。2017 年には日本の水道普及率は 98%を超え大量の水道水を供給するために塩素だけでなくオゾンや紫外線を取り込んだ高度な浄水処理が行われるようになっています。塩素は水道水の消毒だけではなく水泳プール、温泉、浴場、食品加工設備等の衛生管理、下水および工場排水の消毒など様々な場面において重要な役割を果たしています。私の研究では塩素の殺菌効果の背景となるその複雑・多様な反応性を明らかにすること、そして塩素やオゾンの正しい評価に基づいた使用を進めることが目的です。

 

【研究の始まり】

捜真を出て入学した日本大学理工学部薬学科では、試験の直前にちょっとだけ勉強する学生でした。4 年生になり衛生化学研究室で卒業研究が始まると、複雑な仕組みに近づく手段として実験方法を考えることが驚きでした。そして失敗ばかりでしたが、実験が好きな自分を発見しました。就職を考える時期でもありましたので、薬剤師としてではなく、薬学で学んだ知識が生かせる仕事(何と曖昧な!)がしたいと研究室の教授に相談しました。当然のことながらこのような勝手な希望に添った募集がただちにあるわけはなく、しばし研究室に残り実習と研究の手伝いをすることになりました。これが 40 年間にわたる教育と研究の始まりでした。

 

《私の捜真》

捜真では 6 年間を通して遅刻の多い勝手気ままな生徒でした。しかしながら後からのこじつけかも知れませんが、研究と教育に進む基礎も捜真で得たと思っています。若い日に得た経験はずっと生き続けています。

横川明美先生には国語古文を教えていただきました。ある日、私の古文理解について「あなたは分かったと思っているでしょうけど、自分勝手な解釈をしていますよ。古文は日本語であるけれども正確な理解のためにはその一語一語をきちんと文法的にも説明できなければ分かったとは言えないし、分かるというのはそうゆうことなのよ。」と言われました。当然のことを言われたのですが、ガツンと来て、その後しばらく古文の勉強をしました。時を経て「分かるとはその背景に及んで理解することであり、理解するのに手間を惜しんではいけない」との解釈に至り、先生の言葉は忘れられません。

森川幸先生には英語を教えていただきました。定年も近い年齢の先生は気高く近寄りがたい存在でしたが、英語の授業中に大きな声で返事した級友を誉められ、「人生ではそうゆうことがとても大切なのよ。」と言われました。教室を超えた大きな世の中が待ち受けていることが示唆されたように感じました。卒業後もご迷惑を省みず、度々先生をお訪ねしました。飾らない言葉で語られる先生の思い出や体験はとても興味深く、冒険談のようにも感じられ、日々の暮らしや仕事において自分なりの勇気を持って進むことを教えてくださいました。かけがえのないメンターに出会えたのです。

最後に、この4月に卒業 50 周年を迎え、とても楽しいホームカミングデイを過ごしました。ホームカミングに向けて共に合唱の練習をし、会うと嬉しい生涯の友達を得ることができたのが私の捜真でもあります。

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