花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
英文科7

坂西 志保

Sakanishi  Shiho
学者、評論家
【略 歴】
1896年(明29) 小樽市生れ
1918年(大7) 捜真女学校英文専科卒業
東京女子大学入学
1921年(大10)~1922(大正11)  関東学院英語教師
1922年(大11) 米国マサチューセッツ州ノートンにある女子大学イートン・カレッジ入学
1925年(大14) 同大学卒業学士号取得
ミシガン大学大学院入学
1926年(昭元) 同大学英語科修士号取得
1929年(昭4) 同大学Ph.D(博士号)取得
ヴァージニア州ホリンズ・カレッジ助教授就任
1930年(昭5) 米国議会図書館中國文献部門助手として就職 日本語資料整理担当
1938年(昭13) 同図書館オリエンタル部日本課課長就任
1942年(昭17) 日米開戦後、収容所に抑留される。その後交換船で強制帰国
1942年(昭17) 外務省嘱託 米国の国状について解説、分析を行う
1976年(昭51) 逝去

 戦後は外務省や参議院の専門委員、選挙制度審議会委員、憲法調査会委員、日本ユネスコ国内委員、などを務め立法、行政、教育の分野において活躍する。
著書「アメリカの女性」「狂言の研究」「生活の知恵」他 翻訳多数

 幼い頃にキリスト教の洗礼を受けた坂西志保さんは、キリスト教のミッションスクールである捜真を選んで入学なさいました。教員免許を得て関東学院で英語教師をしていた時も、教会でオルガンによる奏楽の奉仕を怠ったことはありませんでした。戦争によりアメリカから強制的に帰国させられるという苦難の時代を生き抜き、戦後はアメリカ関係の専門家として幅広い分野で大きな活躍をされました。

Sakanishi Shiho2018_2

こちらもご覧ください