花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
1970年卒業(高22回)

榊原 淳子

Sakakibara Junko
編集者

【略歴】

1974年(昭和49年)
明治学院大学文学部英文科卒業
毎日新聞社・英文毎日局・英文出版部に編集スタッフとして採用される。Japan Almanac、Defense of Japanなどの編集に携わる。

1977年(昭和52年)
株式会社グラフジャパンに入社。外務省発行の海外広報誌(11カ国語)、Japan Pictorialの編集に携わり、国内外を取材。海外青年協力隊の20周年記念誌Togetherを編集。

1988年(昭和63年)~1995年(平成7年)
北米ワシントン州シアトル市の日本語メディア会社JEN Inc.に入社。日系人や現地駐在員家族向けの日本語メディア(ラジオ、テレビ、書籍)の制作担当。

1995年(平成7年)~2011年(平成23年)
株式会社ウインズ出版(日本航空の子会社)に入社。機内誌WINDS(英文国際版)の編集長として編集統括。機内エンターテイメント誌JEN Guide創刊。中国語機内誌『翔』創刊。日本航空CSR報告書の編集などを手掛ける。

2011年(平成23年)~
株式会社ジンジャーを設立。代表取締役・編集担当
『ハリー・ポッター魔法大図鑑/1~4巻』(静山社刊)、『ミッキーマウス・ヒストリー』(静山社刊)、『ハリー・ポッター魔法ワールド大図鑑』などを編集。(一社)いけばなインターナショナルの英文会員雑誌Ikebana Internationalの編集・制作。Doug Palmer著『Bruce Lee; Sifu, Friend and Big Brother』を翻訳し『素顔のブルース・リー』を出版芸術社から刊行(2024年4月)。

《捜真の思い出》

私は捜真幼稚園から始まり、捜真小学校、捜真女学校卒業まで、通算13年も捜真に通っていました。家が徒歩15分ぐらいにあるので(今もそこに住んでいます)、その間、ずっと徒歩通学でした。

中学2年のころ卓球部に入部し、高校2年まで在籍。相当、卓球にのめりこんで勉強が少しおろそかになりかかったことも……。高校2年から慌てて受験勉強を開始しました。高校生活では、10人ほどの仲良し友達に囲まれ、よくみんなで鎌倉に出かけました。読書家の友達や、アート制作が得意な友達など、みんなからさまざまな影響を受け、豊かな人間関係を築くことができました。

 高校時代の愛読書は週刊朝日と英文タブロイド紙のMainichi Weeklyで、いつもスクラップブックに気に入った記事を貼っていました。おそらく、そのころから編集者の真似事をしていたのだと思います。大学3~4年は文化人類学に傾倒し、他大学に聴講生として通っていました。その経験と、父が新聞記者だったことが多大に影響したのか、書くことや読むことが好きで、結局編集者の道に進むことになりましたが、天職に恵まれたと感謝しています。

2024.9.30 公開

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