花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
1984年卒業(高36)

滝澤 美妃子

Takizawa Mikiko
ろう者理解普及活動者

【略歴】

1988

文化学園大学 造形学部 デザイン・造形学科 卒業後 

(旧 文化女子大学 家政学部 生活造形学科 染色コース) 
トヨタ自動車株式会社入社 ~2001年(病気療養のため退職) 

2003 長女(第二子)聴覚障害があることが判明
2015年 横浜高島屋勤務 通常業務に加え手話アテンド担当
2016 第3回世界ろう者陸上競技選手権大会(ブルガリア スタラザコラ)観戦 
2017年

一般社団法人日本デフ陸上競技協会スタッフとなる 
第23回夏季デフリンピック競技大会(トルコ サムスン)帯同 

2018年 海外合宿(フィンランド・エストニア)帯同 
2019年 第1回世界デフ室内陸上競技選手権大会帯同 
2021年 第4回世界デフ陸上競技選手権大会(ポーランド ルブリン)帯同 
2022年 第24回夏季デフリンピック競技大会帯同

その他、毎年開催される日本デフ陸上競技選手権大会運営、合宿のサポート、また 今年11月に開催される第25回夏季デフリンピック東京開催に向けて、デフリンピック普及イベント等で活動中

  

《捜真の思い出》

私は幼稚園・小学校・中学・高校を捜真で学びました。捜真の思い出は幼い頃の記憶の始まりからつながります。今でも雪が降ると捜真幼稚園の園庭が眩しく輝いている光景が目に浮かびます。幼少から青春の思い出は大半が捜真の日々で、ところてん式につながっているのです。 

その中で、小学生の時にグランドで遊んでいると女学校から発声練習の声が聴こえてくることがよくありましたが、六年生のある日にその声を聴いてふっと自分も来年はあの中(大人の世界)に入るんだなぁ…とクラッシックで威厳を感じるピロティをしばらく見上げ不思議な気持になったことを思い出します。14年間の繋がった日々の節目だったと思います。 

女学校時代は中学1年生の冬からバスケットボール部に入部し、毎日朝早くから体育館を中山先生に開けていただきシュート練習、お昼休みもシュート練習…と目標に向けて無心で練習をしておりました。努力やチームワークを学んだように思います。 

そして、今でも度々思い出すことは聖書の時間に学んだ「思い込み」についてです。人は思い込みで生きている、思い込んでしまうと他の考えができなくなってしまう…という柳原鉄太郎先生のお話です。 

聖書の教えは日々の礼拝の時間を通し自然と身についており、私には大切な教えとなっていたことは大人になってから実感することとなりました。 

 

私は30歳半ばで大きな出来事が起きました。体調を崩し退職した後、病気療養中で息子6才娘3歳の時に娘の聴覚障害が発覚しました。あまりにも予期せぬことで当初は狼狽えてしまいました。何をどうしてよいのか…この先どうなるのか…そして、この私で母親ができるのかと悲観的な考えしか出来なくなりました。そのような時に父から「そんな悲しい顔をすることはないじゃないか、美妃子は幸せなのかもしれない。今の時代、子離れ子離れと子供と一緒の時間が少なくなっている中で、じっくり子供と向き合って育てられるんだよ。子供はかわいいんだよ。子育ては大切な時間なんだよ…」と助言がありました。当時の私はすぐにはその言葉は理解できませんでしたが、徐々に言葉が解けてくるように浸透し、同時に自分は悲しいと思い込んではいないか?と気づくことになりました。聖書の授業のお話の「思い込み」です。 

私はとても大切なことを学べたのだと思っております。 

その後、娘は中学校からろう学校に進学し陸上競技部に入り、高校2年生の時に棒高跳びでデフ(聴覚障害者)陸上競技の世界大会出場をきっかけに、私はデフ陸上を支える人の必要性を感じ一般社団法人日本デフ陸上競技協会のスタッフになりました。そして、翌年トルコで開催されたデフリンピックに帯同し、予想外に娘の銅メダル獲得という瞬間を目の前で見るとともに、3000人を超える聴こえない選手とそのスタッフの中でわずかな健聴者スタッフとして現地で滞在し、健聴者優位の社会の正反対の状況を経験しました。日頃使っている音声言語は日本語も英語も伝わらず、見渡す限り手話で話す人たちの中で手話初心者の私は伝えたいことも伝えられず、知りたい情報もタイムリーにはわからずあとから筆談やLINEで確認する生活でした。忙しいときに質問することに気が引けてしまい、わかったふりをしてよくわからないままスタッフの中で情報難民になり数週間の間に孤独感も経験しました。このようなことは健聴者の社会の中で生活する娘は日常なのだろう…と思いました。 

また、ろう者同士(国際的な活動をするろう者は自分の国の手話の他に国際的に通用する国際手話も取得している)のコミュニケーション能力の高さに驚きました。その場に集う様々な国の人たちがすぐに会話をして楽しんでいるのです。私は日本人のろうスタッフに通訳をしてもらいながらいろいろな国のろう者の仲間に入り会話を楽しむ面白い経験をしました。表情豊かでお互いの目をしっかり見て伝えよう理解しようといったコミュニケーションに強く惹かれ、いろいろな方法のコミュニケーションでいろいろな国の人と話をする…なかなか出来ないことを自分はしているな… 父の助言、そして「思い込み」のお話が脳裏に浮かびました。              

今年はデフリンピックが東京で開催され世界中から約6000人のデフアスリートとスタッフが集まります。たくさんの努力をして選抜された選手たちの競技と魅力あるコミュニケーションを身近で見ることで、聴こえない人と聴こえる人の相互理解が深まるように…活動したいと思います。 

どんなに小さな光であっても世の光になれますように… 

2025.3.17

 公開

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