花咲く同窓生

多様化する社会の中で「地の塩、世の光」としてたゆみない歩みを続けている卒業生を紹介します。
既に神様のもとに召された方々に対しても、記憶にとどめ、敬意を表したいと思います。
WatanabeMisa2018
1945年卒業(普47)

渡邊 美佐

Watanabe Misa
渡辺プロダクション創業者、代表
【略 歴】
1942年(昭17) 捜真女学校入学
1945年(昭20) 疎開先の宮城県仙台市 宮城女学院に転入
日本女子大学英文科入学
1955年(昭30) 渡邊晋氏と結婚、「渡辺プロダクション」設立。国際的に通用するミュージシャンを育て、ショービジネスの世界を近代化することを目的とした。草創期のテレビで「シャボン玉ホリデー」を世に送り人気を博す
1958年~(昭33) 「日劇ウェスタンカーニバル」を手がけ、「ナベプロ」は日本最大の芸能プロダクションとなる
2004年(平16) フランス芸術文化勲章オフィシェを受章
2019年(令元) 文化功労者に選出される
 
《捜真の想い出》

私は化学と数学が好きでした。数学は中村宏先生、化学は久保田百合子先生、国語は美濃口初枝先生、音楽は安藤寿々代先生でした。
松ヶ丘から坂を登っていくと、松林の中に捜真女学校自慢の白い塔がありました。中はチャペルと上の階は祈祷室でした。中庭の奥に西洋館がありましたが、宣教師の先生のお出ましがあまりなかったのは戦争中だったからでしょう。戦時中は学徒動員で反町駅から川崎の東芝工場まで行きました。私たち10人位が検査係、あとは作業台での組み立て作業でした。戦争末期でどんどん物資が少なくなりました。そして、1945年(昭20)横浜大空襲で捜真女学校が全焼した時のこと「坂を登ると、本当に何も無くなっていた……」

インタビュー 東倉彰子(高18)

こちらもご覧ください