先生からのメッセージ

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社会科

三宅 義人

1994年~2022年在職

 2022.8 松山にて

 手放してみて、その大切さがわかるとはよく言ったもので、今しみじみと捜真女学校在職中の28年間をふり返っています。
 28年間、多くの卒業生の方々にお世話になりました。お一人お一人にきちんとご挨拶もできないまま、2022年3月横浜を離れて、この原稿を故郷松山で書いています。89歳と84歳の歳を重ねて課題の増えた両親の側にいてやりたいとの思いから、自分の子ども3人が曲がりなりにも社会人になったことを契機に退職の決断に至りました。改めて長い在職中、多くの卒業生、在校生と保護者の方々にお世話になりました。ありがとうございました。

 28年間をふり返って思うことは、捜真は「人の人とのつながりで持っている学校だ」ということです。
28年間務めさせていただいた放送部の取材では、多くの卒業生の方々に協力して頂いて作品を仕上げ出品することができました(直近の作品はYouTubeに上がっていますので、ぜひご覧ください)。また、こんなこともありました。バス通り坂下のヨコシネを取材した時、創業者の佐伯永輔さんが映画を学ぶために渡米することになり、カンバース先生から英語を学ばれ、出発の際には当時の捜真生が横浜港で見送ったことを同社の資料から知りました。
放送部以外ではこんなこともありました。ある日の昼休み、関西で新聞社に勤めている私の大学時代の同級生から電話がありました。内容は「なんと彼の部下に捜真の卒業生が配属されたとのこと」、後日同級生からさらに連絡があり、「彼女が初めて書いた記事が載ったから見てやってくれ。ガッツがある子や。スクールカラーに合ってなかったとちゃうか?」と言われました(どうも関西では捜真はおしとやかなお嬢様学校と思われているようです…?)。
 
 さて、卒業生のみなさん(在校生の皆さん、保護者の方々も含めて)、どうか捜真という要から無限に広がる人と人とのつながりを大切にしていっていただければと願っています。そのつながりは、あなたにとって何ものにも代えがたい財産となるでしょうし、またあなたがピンチに陥った時、不思議な形で支えとなってくれるに違いありません。
 
時代が変革しようとも、捜真が「人と人とのつながり」を何よりも大切にする学校であり続けますように、また同窓会がその上で大きな役割をさらに果たされますように、松山の地より28年の感謝を込めて祈っております。

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