先生からのメッセージ

先生方からのメッセージをお届けします
聖書科・宗教主任

藤本 忍

(39回卒)
2001年~在職

いつも心にBible、そして捜真Pride! 

同窓生の皆様、お元気でいらっしゃいますか。母校捜真から各地へ遣わされて神様の御用のためにお働きのことと存じます。皆様の勇姿はFBやインスタグラムなどのSNS等でも拝見しています。

先日、母校に立ち寄った若い同窓生(現在大学三年生)達からこのようなことを言われました。「捜真魂で、ディアスポったら、周りに引かれました。」と。「ディアスポル」とはどういう意味かと尋ねると、「隣人を愛すること」だと教えてくれました。先ほどの言葉をもう少し翻訳すると「捜真教育で、隣人を愛したら、周囲の人たちから白い目で見られた」となります。つまり捜真で受けた教育を、それ以外の世界で実践しようとすると、無理解・衝突・障害が起こる、という事です。それは、聖書の価値観や捜真教育と社会の価値観基準、常識との間にギャップがあるからです。多くの人が自分中心にものを考え、人と深く関わることを避けて希薄な人間関係しか築こうとしない社会において、自ら心を開いて人と関わり、互いに助け合って共生しようとする同窓生達の姿勢は、時に煩わしさを周囲に与え、本人達も違和感や生きづらさを覚えてしまうものなのだと思います。私は彼女達の話を聞いているうちに、「楽に生きてもいいんだよ。捜真で受けた教育が返って邪魔になるなら、無理しなくてもいいんだよ」と思わず言ってしまいました。(ダメですね。)すると、このような返事が来ました。「先生、それは出来ないです。なぜならそれをしたら自分が自分でなくなってしまうからです。」

私達の内には既にアイデンティティとして、「隣人を自分のように愛すること・最善の自己に忠実であること」が根付いています。ルターが聖書を指して「我、ここに立つ」と言ったように、たとえ、周囲の賛同が得られなくても、私たちは聖書の価値に立って、たった一回の人生をそう生きたいと願っているのです。いつも心にバイブル、そしてこの胸に、捜真プライドを持って生きたいのです。

卒業生の皆様、どうか、心折れることなく、いやたとえ折れても決して絶望しないでください。英気を養ってまた起き上がって下さい。私たちは何度でも再生可能です。中丸の丘からいつも覚えて祈っています。置かれた場所で平和を実現していきましょう!

 

(世界で闘っている教え子たちから、同窓会HPからエールを送って欲しいと言われてこのページを依頼しました。教え子に感謝!)

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