先生からのメッセージ

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社会科

阿部 美子

(18回卒)
1974~2017(1981~1987離職)

 7月5日、高35回の同期会に出席しました。還暦の学年、この学年が中1の時、私が担任した学年です。会場入り口に入ったとたん、かつて生徒たちに「お早う」といって始めたホームルームの教室にいるような錯覚に陥りました。

 そして10月11日には、卒業60年になった私たち高18回の同期会をしました。「お早う」と言ってコルビーホールに入ったとたん、私は制服をきた生徒のひとりになりました。77歳、78歳になった私たちは卒業時※209人、それぞれの人生を送ってきたのに、きのうの続きの、朝のホームルームにいました。(※ 当時3クラス体制でしたが、第一次ベビーブームのため、高等学部より4クラス。各クラス50名あまり)

 年代が違う、かつての教員と生徒の関係、同学年のメンバー、条件が違うのに「共にいる」という感覚と安心感は共通のもの。卒業後長い時間が流れ、現在の生きる場はそれぞれでありながら、違いを越えて安心感のなかにいるのです。

 しかしこれは「みんな同じ」という安心感ではないのです。各人各様、一人として同じ人はいない。それぞれの個を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。ありのままの自分でいてそれぞれ違っていて、そのままを互いに受けいれあっている。違っていることが優劣という比較ではなく、個として尊重されている安心感。互いの違いに好奇心を持ち、受け入れ合っている。ありのままが受け入れられている。

 入学当初からそうだったのではありません。「何があるだろう」という期待感と、「これからどうなるのだろう」という不安感から始まった生活、しかし日常の学校生活、自然教室、学校行事、合唱コンクール、様々な場面で提案し、自分のこだわりをもって意見をかわす。今年度の捜真祭のパンフレットにもそうした準備を重ねてきた経過と思いが記されていて、かつての自分たちと重なりました。

 私が生徒であった時、試験前に国語の先生に質問をしました。先生は「で、あなたはどう考えるの」それが先生の答えでした。「自分で考える」。自分の考えを生み出すことを求められることは、私が尊重されていることなんだ、と思います。個でありつつ互いを受け入れ合うところにある安心感と喜び。「捜真教育」の真髄です。出エジプト記3章から4章、神とモーセの対話の場面が浮かびます。

 最後に。かつて歴史の教科では、多くの事柄、年号の暗記を求めました。基本として必要なことがらでした。しかし新しい資料の発見、時代の変化、自身の知識や経験の積み重ねによりとらえかたが変わります。絶対に正しい見方はない。よって立つ文化、地域、宗教など複数の条件のなかで、複数の角度から見る、世界と日本を総合的に見つつ、考えを交換しあう、そうした歴史の学びのなかに、平和を現実のものとする鍵がある。かつてそれを伝えられなかったという反省があります。どこかで会えたらいいな、こうしたことを話せたらいいなと思います。

2026年午年
かつて、美術の授業で制作した埴輪を生徒がプレゼントしてくれました。大事、大事です。敷物は獅子狩文様錦。はぎれ市で偶然みつけました。

2025.12.23公開

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