捜真ノート

母校に対して誇りに思っていることや、同窓生の経験を分かち合うページです。

魅惑のテノール 鈴木寛一

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 日本を代表するテノールのオペラ歌手、鈴木寛一先生は、東京芸術大学を卒業した1965年春、捜真女学校に着任されました。平行して「ドン・ジョバンニ」でオペラ界にデビュー、数年間は捜真の音楽教師とオペラの舞台の両方の忙しさでした。1977年、ウィーンに留学され、その後、「蝶々夫人」、「セヴィリアの理髪師」、「魔笛」、「フィガロの結婚」、「トゥーランドット」、「こうもり」等、多数のオペラにプリモテノールとして出演、日本のオペラ界に確固たる地位を築かれました。又、「マタイの受難曲」など宗教音楽界でも第一人者でした。東京芸術大学教授を経て、2004年より名誉教授でいらっしゃいましたが、2020年4月6日、84歳で安らかに天に召されました。

受賞歴
・1976年 ウィンナーワイドオペラ賞
・1986年 ジローオペラ賞

 

鈴木先生からのメッセージ

「青春の1ページ」

 捜真には、何と18年間お世話になりました。私の専攻は声楽でしたから、ちょうど22歳から35歳頃までは声楽家として一番大切な時でした。今、考えると、この時代に捜真にいたことが私の人生の大きなポイントになっていたと感謝しています。千葉 勇先生、日野綾子先生、内藤トミ先生はじめ大勢の先生方の愛情とご援助で、この18年間はその後の私の音楽活動の大きな励ましとなり、今の私があります。

同窓会報30号から

「捜真の思い出」

 御殿場の自然教室で、大野一雄先生と2人きりで過ごした時がありました。大野先生は、私の為だけに目の前で踊ってくださいました。小さなオルガンで私の弾くバッハのコラールに合わせて、白いシーツを身にまとい、麦わら帽子をかぶり、手には木の枝を持って…… 捜真時代、強く印象に残っている特別な時間でした。またその頃捜真には男声合唱がありました。天野先生や岡田先生と歌ったことも、懐かしい思い出です。

聞き手:I.K(高15)

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若き日の鈴木先生

何と贅沢な授業。日本歌曲からカンツオーネ、オペラまで

 捜真に入学して2年目の新学期、新任の先生を迎えました。東京芸術大学を卒業したばかりの鈴木寛一先生、音楽科では珍しい男の先生です。捜真の音楽の授業といえば、ツェー・デー・エー・エフ(CDEF…)のドイツ語音階とコールユーブンゲン。ドレミで学んだ私たちには馴染みが薄く苦痛でした。それが、鈴木寛一先生の登場で一転、テノールの美声で歌ってくださった美しい日本歌曲、チャペルに響きわたるカンツォーネ、そして本格的なオペラ……と、まるで縁のなかった世界へと誘ってくださいました。お昼休みに開催されたレコード・コンサートでもワクワクする映画音楽などを取り上げながら、それまでは敷居の高かったクラシックの名曲を身近なものとして触れさせてくださいました。音楽室の壁で、眼光鋭く恐ろしい形相で睨んでいたバッハ、ベートーベン、ワグナーなど名だたる世界の音楽家たちがやさしく微笑みかけた瞬間です。
 先生のおかげで、卒業後の進路を音大へと決めた人、そしてプロの音楽家の道を選択した人も多数。
退任されてからは「マタイ受難曲」など宗教音楽の第一人者であり、オペラ界でのご活躍を知るに
つけ、私たちは何と贅沢な授業を受けていたのか……と改めて実感するところです。

Y.H(高16)

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