ナマステナマステナマステー!村で出会う人全員に手を合わせてあいさつしていたら、子どもたちが私を見てナマステを連呼するようになってしまいました。
会社の電子掲示板に「インドの農村部に1ヶ月間滞在するメンバーを募集」という文字を見つけた時、「私以上の適材はいない!」と、興奮ぎみに手をあげました。『英語が”そこそこ“喋れること(※)』『インフラが整っていない場所でもたくましく生きられる人』という選考基準を満たし、見事、沢山の応募者の中からメンバーに選ばれ、インドの農村部に滞在することになりました。
ここでは私が見たインドの風景や、なぜ私が「インドで下着をつくりたい」と思うようになったのかをお伝えします。
※捜真の中学生時代、私は英語が大キライでした。それが高校一年生の時に参加したオーストラリア短期研修で「外国の人と話すのはこんなに面白いことなのか!」と異文化交流にめざめ、高校一年生の2学期からは英語を“そこそこ“勉強しました。捜真では最後まで5段階評価の「5」をいただくことはありませんでしたが、英語に対する”そこそこ“の自信はつき、大学時代からさまざまな国を訪問して沢山の人と出会い、さまざまな暮らしを経験することができました。そして現在、イイ大人になった私は”そこそこ”の英語力では足りず、もっと勉強しなければという状況におります。
はじめてのインド
ガンジス川を渡ると、外はいっきに緑のにおいに変わりました。空港から車で7時間。2010年、私は初めてインドに向かいました。目指したのはインド北部のビハール州サウラース村。細いガタガタした道を抜けて村に到着すると、突然、頭から花のシャワーを注がれ、花の首飾りを掛けられ、お祈りと共にひたいに赤い印を塗られ、写真を撮られました。
迎えてくださったのは、村人からママジ(「母方のおじさん」を指す呼び名)と親われる、村の長老でした。私は会社の同僚2人と共に、このママジの家にお世話になりました。「既存の製品やサービスにとらわれず、インドの村の人たちと共に暮らし、村の人と同じ目線に立ち、どんな物やサービスが必要かを考える」というのが会社からの指令でした。
私たちが到着した日は、10月の満月の夜。この日はクジャグラといって、この1年に結婚した夫婦の家を巡り祝福するという特別な日でした。新婚さんのお家を訪問すると、お婿さんとその両親がきれいな格好をして訪問者を出迎え、“マカーナ”と呼ばれるオニ蓮の実を焼いたポップコーンのような食べものを訪問者に配っていました。訪問者たちはドゥパタと呼ばれる首に巻くスカーフを大きく広げ、そこにマカーナを授け受けます。真っ暗闇の中、村を歩き回ってママジの家に帰った時には、ドゥパタは沢山のマカーナでいっぱいになっていました。どの家もお婿さんがお出迎えしていて、お嫁さんには会いませんでした。
ママジは“長老”と聞いて、最初は気難しい人を想像していましたが、とてもとても優しくてあたたかい方でした。初日からあたたかい家族に迎えられ、異文化のシャワーを浴び、幸せと興奮に包まれながら眠りについたのでした。
つづく
江副 亮子 (高53)