捜真ノート

母校に対して誇りに思っていることや、同窓生の経験を分かち合うページです。

インドで下着をつくりたい2

衝撃の『ザザザーッ』
インド北部、ビハール州サウラース村に到着した私たち。
村で1ヶ月を過ごすにあたり、まずは村の人たちに私たちのことを知っていただこうと、自己紹介の会を開きました。

ママジ(ホストファーザー)には「村中に告知してあるから、時間になれば人が集まるよ!」と言われていたのですが、開始時間に現れたのは、白い腰布を纏った年配の男性お一人だけ。他は誰もいない…。あら?

「大丈夫。そのうち来るよ」と言われるものの、5分、10分と待っても広場は静かなまま。
日本から持ち込んだ浴衣を着てはりきっていた私は、「もっと沢山の人にご挨拶したいのに。」と、待ちきれず、ご近所を歩き回って『アウ!アウ!(来て、来て)』と呼びかけました。大人たちは「今やることがあるから」という素振りで顔を背けましたが、目をキラキラさせた子どもたちが、「なんだ?なんだ?」と私に付いてきてくれました。

子どもたちと広場に戻ると、先ほどの男性に加えて、さらに数人の白い腰布を纏った男性達が椅子に座っていました。(※1)そして一番後ろの列には、Tシャツに、チェックの腰布を巻いた男性が座っていました(※2)。
そこそこ人が集まったので、私は世界地図や写真を取り出し、自己紹介を始めました。

(※1)後々わかることですが、この年配の男性達は、村の長老会のメンバーでした。
長老会は、村人の尊敬を集めるお爺さま方の集まりで、村で起きた事件の解決や、村の物事のあれこれを決める役割を担っていました。(一緒に行ったメンバーは、この長老達を”ジェダイ”と呼んでいました。)
(※2)チェックの腰布を巻いた男性は、農業に従事する男性でした。男性同士でも、身分によって座る位置が分かれていたことに、後々気がつきました。

しばらくした頃、ふと周りを見渡すと、塀の周りにズラーっと、色とりどりのサリーを着た女性達が集まっていました。

「アウ!アウ!」
会場にはまだ座れるスペースが沢山ありましたので、「どうぞ中に入って」と、私は覚えたての現地語とジェスチャーで、彼女達に一生懸命に伝えました。
ところが女性達は、サリーの布で顔を隠して、なかなか中に入ろうとしません。興味津々の様子で、徐々に徐々に、にじり寄って来るのに。
「なぜ中には入らないのだろう。」と私が疑問に思っていると、現地のスタッフが、どこからか大きな布を持ってきて、入口近くの地面に広げました。すると‥

『ザザザーッ!』
女性たちが一気に入ってきて、その布の上に座りました。女性達の身体で、布はすぐに見えなくなりました。
色とりどりのサリーを頭まで被った女性たちが、びっしりと並ぶその光景は、10年以上経った今でも、私の目に焼き付いています。

↑この写真は後日、別の場所で撮ったものですが、サリーを着た女性が集まると、こんなに色鮮やかです。

会の後、「どうして女性たちは会場に入ろうとしなかったの。」と現地スタッフに質問しました。すると、「男性が椅子に座っていたからだよ。こういった農村部では、公の場で、男性と女性が同じ立場に並ぶことがタブーとされているんだよ」と聞かされました。
私はこれに、非常に大きな衝撃を受けました。

「男と女って、何が違うのだっけ?」
その瞬間、私の頭に浮かんだのは、「男と女って、何が違うのだっけ?」という疑問でした。
日本でも「男女格差社会」が問題になりますが、その当時、私は「生物学的に男と女は別物。区別があっても仕方がないかな」程度に思っていました。というのも、私は姉と2人姉妹。中高も女子校で育ったため、性別を理由に不便を感じたことがなく、男女格差の問題を自分事として考えたことがなかったのです。
しかし、このインドでの出来事は違いました。「慣習」では割り切れない、不条理さを感じました。そして同時に「自分は女性である」ことを、あらためて意識させられました。

もったいない!
この衝撃のおかげで、私はその後の1ヶ月間、村を観察しながら「男性と女性の立場の違い」にフォーカスするようになりました。すると、この村では男女の立場に以下のような違いがあることがわかりました。

・基本的に、男性が外でお金を稼ぐ仕事をし、女性は家の仕事をする。
・男性は、都市や外国に出稼ぎに出ていることが多い。そのため、村に住む家族は[(嫁から見た)義父母、嫁、孫]という構成が多い。
・カーストの高い家の女性は、ほとんど家の敷地外に出ない。食材や日用品は、家に訪ねてくる行商人から買う。その他の買い物は、お手伝い(近所の人を雇う)か、夫や子どもに頼む。たまに夫に連れ立って、街や都市に出かける。
・カーストの低い家の女性は、井戸に水を汲みに行ったり、池で沐浴したり、干し草を集めに出かける。リキシャで30分ほどの町より遠くへは、出かけることがない。
・結婚の際、嫁の実家が婿の実家にお金を渡す。この額は、娘の父親の年収の3倍程度となるため、女の子が生まれた家ではその日から貯金を始める。(※3)
・将来、男の子は、外で働いて家にお金を入れる。女の子は、お金を持って家を出る。という構図がある。このため、女の子が多く生まれた家は破産する。
・男性がいる場所では、女性は発言することが難しい。

私は女性として、この状況に窮屈を感じたのですが、この地に暮らす方々にとってはこれが普通で、快適なのかもしれません。ただ、色々なところでお話を聞いても、必ずどこからか男性が出てきて意見を述べるので、なかなか女性の意見を直接聞くことができませんでした。
そこで私は、女性だけを集めたミーティングを開きました。

するとそこで出てきたのは、「働きたい!」「私たちだってできるのに!」「挑戦させてほしい!」という女性たちの声でした。

「学校に通っていたけれど、結婚のために途中で辞めさせられた。」
「女性にはお金を稼ぐ仕事はできないと思われている。でも私たちだってできるのに。」
「自分も家計に貢献したい。家族のために役に立つことを示したい」
「仕事を得たくて、ミシンの技術を学んで認定証も取った。でも仕事がない」
「マドゥバニペインティングの資格を取ったのに、仕事に結びつかない」(この地方にはマドゥバニペインティングという、女性が描く伝統画があります)

最初は難しい顔をして、なかなか発言しなかった女性達が、最後には「私も!」「私にも言いたいことがある!」と、活発に発言していました。
そして、「この状況を変えたい!」と、仕事を求めて職業訓練校に通う女性がとても多いことがわかりました。

↑女性を集めたミーティングの写真。最初は不満を訴える声が多かったのですが、徐々に「自分はこうありたい!」と言う希望が多く語られました。

↑白熱し過ぎて、気づけば辺りは真っ暗に。それでも「私の声も聞いて!」と、女性達は次々に私に向かって発言しました。

「こんなにやる気とパワーに溢れる人が沢山いるのに、もったいない!」
そう思った私は、彼女たちと一緒に何かできないか、と考えるようになりました。彼女たちのパワーがあれば、色々な可能性が開ける気がしたのです。

そんな思いを抱いて、まずは1ヶ月間の滞在を終えました。そしてその2ヶ月後、私はまたこの村に帰ってくることになるのです。

つづく

お断り
ここに記載した内容は、2010年〜2011年当時の様子です。現在は状況が変化している可能性があることをご承知おきください。
(※3)持参金(ダウリー)については、1950年にビハール州で「ダウリー制限法」が、1961年にインド全土で「ダウリー禁止法」が制定されました。ところが実行力が弱く、慣習を変化させるまでに時間がかかりました。しかし2019年に江副が再び訪問した際には、この村でも「ダウリーは法律で禁止されている」との共通認識が広がり、「ダウリーを要求する家はほとんどない」とのことでした。50年かけても変えられなかった慣習が、10年弱で急に変わったことは、インドが昨今、大きな変革期を迎えていることの表れと感じます

↑村の様子。藁葺き屋根の家、レンガ作りの家、コンクリート塗装の家、様々な種類の家が立ち並ぶ。

↑男性は都市部に出稼ぎに出ている家庭が多く、[老夫婦、嫁、子ども]という家族構成が多い。

↑村には子どもが大勢いる。

江副 亮子(高53)

2024.11.1 公開

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