9 月末から日本に滞在し、約 2 ヵ月後に戻って来たストックホルムの空港は、雪国だった!
暖かかった東京から一気に零下の気温の中に降り立つと、旅行気分がスーッと遠のいていく。寒さに慣れておらず縮こまる感じなのに、外の暗さを和らげてくれる雪の白さに気分は明るくなる。
温暖化のせいか、自分がここの気候に慣れてしまったのか、近頃はあまり寒さの厳しさを感じ無くなってきているが、それでも、11 月~3 月初めくらいまでは手袋・帽子が手放せない寒さに着膨れ、身体はなまりがちになる。でも、それよりも憂鬱なのは、長く続く夜の暗さ。朝 8 時過ぎに薄暗くなって夜が明け、15 時過ぎにはまた薄暗くなり夜のとばりが下りてしまう。冬の真っただ中だと、暗い時に仕事・学校に出かけ、帰る時も暗いままということになりがちだ。
10 月末に冬時間に入った後の 11 月は、子どもたちにとっても寒さと暗さがグンと身近なものになってくるのと、あまりイベントがないので耐え忍び感が一杯になる時期でもある。それでも、日中の貴重な太陽を浴びるよう、特に低学年の場合は学校の 20 分の休み時間は、夏と同じように寒くても暖かい服装をして外で過ごすことが一般的だ。
スウェーデンの野外活動に関わるようになった時、その楽しみ方を指南してくれたリーダーに教わった言葉が、そういったスウェーデンの人々と環境との付き合い方を表しているかもしれない。
「どんな天候にも悪いものはなく、悪いのは人間の準備の方だけだ」
雨だったら、雨具・帽子・雨靴(傘を差すことは少ない)、雪だったら、毛糸の帽子・手袋といった天気に合わせてどんな服装をしていくかは、上のような言葉を聞きながら、1 歳半くらいから始まる保育園といった子どもの居場所の中で身に付けていく。
どんよりすることの多い 11 月も後半になってくると、街の雰囲気はキラキラし出す。これは 12 月に控える一大イベントのクリスマス(スウェーデン語で Jul)がやってくるため、街が電飾で飾られ、クリスマスを迎える準備が始まるのだ。保育園や学校では、家族へのカードやプレゼントを作ったり、家ではクリスマス用のクッキーを作ったりして、クリスマスへの期待感を膨らませていく。
12 月に入るとアドベントになり、個人の家の窓に電飾がともり始め、クリスマスのムードは一色になるが、その前の 12 月の大きなイベントにノーベル賞がある。
7 日にはいくつかの場所でノーベル賞受賞者による受賞内容の講演が行われ(だれでも聞きに行くことが可能)、1926 年から行われている 10 日の授賞式と、その後の 1930 年から行われているストックホルム市庁舎での晩餐会など、スウェーデンの国名が世界中のニュースで語られることになる。
そして、そのままクリスマスへ突入するのではなく、スウェーデンにはその前にルシア祭という伝統行事がある。かなり昔のイタリアでキリスト教徒であろうとして弾圧され聖人となったルシアを、一番暗い時期に光を与えるものの象徴として祭事を作り出し、13 日にルシアに決まった女の子が白い装束をきて、頭に灯りがともった蝋燭を王冠のように立てて、お供を従え行列をして歩く。その行列が、日本と異なり、普段は全体揃っての行事をあまり行わない保育園・学校・学童といった子どもたちの居場所でも行われ、1 年の締めくくりを味わうことになる。
日照時間が短く、気温も低いが、それを理由に閉じこもってばかりおらず、身体を動かして生活を楽しんでいこうという人たちも多く、いかに楽しめばいいかを伝えてくれる人と出会うことも多い。
そういった楽しさをストックホルムに住む日本語で繋がる子供たちにも伝えていこうと、「森であそぼう」というわが活動は、冬ももちろん活動時期だ。
寒さと暗さの雰囲気を乗り切っていくために、長い歴史の中で生活の中に暖かさと灯りを取り入れていくための工夫がいろいろ培われている北欧文化。
冬の暗さと対照的に、地平線になかなか沈まない太陽による明るい夏の夜を表す白夜という言葉が北欧とセットで良く知られていると思うが、どちらかというと黒夜の方が案外文化の暗幕として広がっているのではないだろうか。
2024.12.18公開